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原料に関するこだわり

原料に関するこだわり
 ①大豆(リュウホウ、南部シロメのブレンド)で江戸時代の大豆相場が左右するくらい生産量が多かった岩手県(南部と言い
ます)の推奨品種です。岩手の南の豆腐工場は、


岩手南部経済連と生協との共同出資で作られ当然岩手南部の生産者の豆を使っています。そういった意味で日本
で流通している国産大豆は全体の5%と希少価値な上に産地や生産者まで見える大豆なのです。
二種類の豆は糖度(甘さ)やたんぱく質(美味さ)脂肪分などでそれぞれ特徴がありただ美味しいだけでなく当社の練り物の味の目標に合致するブレンドの比率を探りました。
95:5、90:10・・・・5:95の割合で何パタ-ンも試しました。

②大豆は品種によって風味が違いますが、産地や気候でも違いが出てくるそうです。 特に21年~23年産のリュウホウは産地の夏が暑くてたんぱく質が左右する旨みが足りないと分かったのは、大豆を茹でて食べてみてから分かったことです・・・・魚介類と同じで深い!

③そして岩手県南部の豆腐工場ですが、手作りでそんな豆達の声を聞きながら、添加物を使わないで、にがり一本で勝負しています。
とは言え美味しい 豆腐であれば私共の練り製品に会うかと言えば決してそうではありません。
その点が何年経っても私達との毎日の電話でのやり取りと試行錯誤の連続としての豆腐作りになっている、これは大変です。
美味しい豆腐を作ってきた技術がある意味否定される訳ですから。

④次にまた大きな比重を占める原料としてタラがあります。タラでも助そうタラと言いますが、当社では石巻漁港に水揚げされたタラやこちらに漁がなければ北
海道から生の助そうタラを特に冬期に仕入れて当社の第二工場でミンチにし水でさらしを繰り返し脱水して冷凍します。年間で当地や北海道の一部で助そうタラ
の旬という時期があるのです。いつか?タラが卵(タラコ)を抱き
ますが初めは子供の小指ぐらいで北のプランクトンや小魚をどんどん食べて卵のタラコに栄養を送ります。お腹はハラスといって筋肉にたっぷり脂肪もつけま
す。何故太るのか。それは一定程度卵が大きくなるとタラは餌をとらないと言われているから、食べないで自分の身体に蓄えた脂肪や栄養分をどんどん卵に送り
込む。はち切れんばかりに大きくなったお腹から一気に排卵します。しかし考えてみれば魚の身が美味しい旬はいつか分かりますね。それはどんどん食べていて
卵もそこそこ大きくなった時期です。

⑤まさに一番美味しいその時期の助そうタラをミンチにして水でさらし脱水して「すり身」というものにします。美味しい時期は限られていて10月から1月ぐらいまでで、その時期に特級レベルのすり身として急速凍結して年間使用します。

⑥しかし急速凍結であれただ冷凍してもタラの身はぼろぼろになってしまいます。その為薬品を使わざるをえない、冷凍倉庫で一年でも二年過ぎても解凍したら
作りたてのすり身にするためです。しかし当社は30年以上前から一切合成添加物を使わない商品作りをしてきて当然のことですが原料すり身でも塩と砂糖しか
使いません。初めて原料を冷凍実験したときは15~20トン廃棄しました それだけ難しいことだったんです。業界の非常識です。

⑦市販の冷凍したすり身に使う薬品って・・・リン酸塩(たんぱく質を溶かしたり細胞の保水効果もあります=血液や骨や細胞のカリシュウムと結合し尿で排出
してしまう。必用なカルシュウムがどんどん体内から抜け出るとも言われています)ソルビト-ル(人口甘味料=保水効果)海外から輸入された冷凍すり身で
は、塩素で魚を漂白したり乳化剤を使ったり表示をごまかして色んな添加物が使われてきています)原料履歴(トレサビリティ)の重要さ

⑧価格のことも毎日違います。品質も季節や漁獲エリアで違います。大きさも違い鮮度も微妙に違います。
4定と言う言葉がありますが、定時(いつも手に入る)、定量(欲しい量)、定品質(いつも同じ品質でサイズも同じ)、定価格(低価格とも言えます)、これ
が流通業界の常識です。しかし海に生きている動物である魚介類は台風もあり暖流、寒流、低温高温帯など自然そのものです。加えて人間が自然を破壊していま
す、海洋汚染や海水温上昇、資源枯渇、そして産卵や幼魚等の生育場所の減少や餌となるプランクトンができる山や里、河川の乱開発です。

⑨石巻市で107年、加工魚の目利きを生かしてまでは加工業者の皆さんは同じです。しかし不安定な魚介類を使い尽くす技術を日々培ってきているか、しかも一切原料から添加物を使わない製品つくりで加えて国産原料に特化してとなるとそうそう頑張っている加工業者に出会う
ことはないというのが実感です。

⑩昨年の10月、ようやく生産ラインの1割、の1生産ラインでおとうふ揚げから作って来ました。ところが中々手ごわい、無添加とは?
「素材を活かしきる事」、しかし素材は上記の通り深すぎる。加えてこれが決定的だったが、肝心の助そうタラが揚がる石巻漁港は10m以上の津波で壊滅、直
ぐ側のすり身を作る第二工場は半分流され機械は全部壊された。そして海で魚介類の放射能汚染が起きる。原発は福島県でも隣の宮城県との海の堺に壁もない。
幸いといっては語弊があるが当時は寒流が北から福島県の方に流れていた。
それでも少しずつ魚介類から検出される、魚市場では1年半になって漸く船ごと魚ごとの測定検査機器が入ってこれまで以上の精度をもった検査ができるように
なった。しかし完璧ではなくすり身工場も再建の目処も立たない。

⑪そこで北海道まで助そうタラのすり身を作ってくれないかとお願いしに行く。随分長い取引で自社のすり身が作れない年にお世話になっている二社だ。私共の
原料へのコダワリも知り共感もしてくれていた。そして何より被災して3工場が全壊の被害を受けたことで何でも協力するからと二つ返事で引き受けてくれた。
私共が納得できるまでやり取りは続いたが。二社の原料には見て触って生を食べて臭いをかいでみれば、精一杯頑張って作ってくれた品質があり力があった。

⑫おとうふ揚げで言えば、何より豆腐を加熱して豆腐が一番美味しく香りも甘い香りになる瞬間があると言うのは理解できるだろうか。加熱すれば温度が上がっ
ていくがどういった温度で何十秒加熱したらと言うのが殆ど知られていない。と言うより湯豆腐であれ揚げ出し豆腐であれタレや出し汁で食べる、薬味が入れば
豆腐が今一番美味しいなんてあまり関係ない。
そして助そうタラも塩で鍛えて練り上げることも無添加であるから尚のこと技術的に難しいのだが、そのタラも一番美味しい熱の掛け方と温度帯、時間がある。
この二つの原料素材の声を聞きながら「今だよぅ!(豆腐)、今ですよぅ、今!(タラ)」という声だ。
これが早くても遅くても美味しくなくなる。難しい・・・・電子温度計の目盛りを見ながら揚げ釜の製品に突き刺してはサンプルを引き上げた。
引き上げたら熱々を割って匂いをかぐ、甘い香りを探す。透き通った美味しい香りを探す。色々入った雑な香りではなく一本透き通った甘さや大豆の風味やタラ
の美味しい香りだ。これだと思ったら真ん中を食べる、熱過ぎるが何度か噛んで舌に残る旨さと飲み込む間際鼻の奥で香りをかぐ。これが第一関門だ。その一番
美味しい温度帯、滞留時間を見つけるまで連続生産開始できない。時には朝の一時間二時間生産ラインが動かせないときもある。そんな時のスタッフは食べ過ぎ
て昼食が入らないこともある。
冷まして瞬間凍結して解凍した時の風味も想像しなくてはならない。それができるかどうか経験の積み重ね。

⑬揚げる食油は、国産の食用米油を使ってきた。40年近くなる、学校給食の紹介で山形県の会社だ。長い付き合いなので何十年も前から精製工程を減らして脱色工程も減らしている、だから腰が強く香りもいい。しかも酸化防止剤やシリコン(油の泡を消す)も使っていない。
冷凍しようが一年経っても酸化の臭いはしない。殆どまっさらの食油で揚げている。

⑭毎日が繰り返しだ。合成添加物の入ったすり身を使えば、まずとても楽だ。日本で使われている練り製品原料の冷凍すり身は殆どが輸入に頼っている。国産は少なく業者も廃業を余儀なくされている。

⑮そして練りこみで多くの合成添加物が入る。大手の下請けをしては合成添加物の勉強?をさせてもらった。
毎日が特売、下請けは厳しい条件が課せられる。コストを下げるためにいかに水を入れるかも大きな要因だ、いわゆる水増し練り製品をいかに増量してないように見せるかがポイント。
水や脱脂大豆の粉で増量すれば弾力がなくなるから弾力増強剤、美味しくなくなるから合成旨み調味料、滑らかにしたいから油脂を乳化させてふわふわ合成乳化
剤、表面の色艶を良くする品質改良材や人工甘味料、保存が悪くなるからペ-ハ-調整剤と合成保存料。他にも表示を免れている添加物が沢山入って低価格の練
り物が販売されている。

⑯2011年10月1日、待ちに待った火入れ式。私たちの業界にはそんな式はないが3.11震災後、全てを失って79名のスタッフも解雇し避難所で食べるものも小さな一個の玄米お握りと濁った井戸水を二日目で頂いた。避難して来た180人の命が救われた。

⑰震災の四日後、避難所の山から30分の工場まで向かった、1時間半掛かる。途中瓦礫やひっくり返った車で道路が通れな
い、しかも何度も大きな余震で高台に非難しまた向かう。悲しいことに何体かご遺体も、心で手をあわせる。車を捨てた場所には何も残されていない、電柱が折
れている。電線までぼろきれ等が付いている、ここまでの津波か、街中で5mはあったのか。長靴を履いているが本社工場までの道路は冠水して棒を持って歩い
ている、マンホ-ルが抜けて危険だと。まともな家は一軒もない。家の屋根に乗用車が乗っている、塀はなく玄関、ガラス窓も壊れ中は無残にも見るかげもなく
歩く人は必死に家族を探している。市内で4万台も被災したので車もなくあっても道路がないし危険だ。本社工場の敷地を何とか抜けて自動ドアを蹴破ると真っ
暗な中に懐中電灯に浮き出た光景は・・・800坪の建屋の一部だけでも何が起きたか分からない、分かりたくない、思考が停止した。工場内と敷地のヘドロ、
海水、海砂で50トン、瓦礫がダンプカ-70台。片付け掃除するのに半年を要した。

⑱6日目で取引先の役員が避難所を探して山に来た、「生きている、山にいる」と当日休みだった当社の部長に流したメ-ルが何日かして届き、それだけをあてに探しにきてくれた。翌日には得意先から食料が届く。180人が救われた、水のような玄米
雑炊一食が一日の食事だったから。

⑲そして震災から二週間を待たずして得意先の支援部隊が続々と入ってくる。土日も関係なしで社員や職員達が会員や組合員
が駆けつける、青森から鹿児島まで特に関西が多かったが延べ800人以上、泊る所もなく県内外の宿泊施設から何時間もかけてヘドロ、瓦礫をスコップ一輪
車、発電機を持ち込み飲み水以外は時間で道路に上がって来る川の水で顔も手も洗った。何日も何ヶ月も休みなく続いた。民間ボランティアも学生中心に延べ
400名強がそれに混じるようになった。風呂もシャワ-もなく男女関係なく汗やヘドロの臭いが身体から臭った、疲れた顔に「ゴクロウサン!本当に感謝して
いるよ」と声をかけると背筋をただし「オツカレサンです!」と泥がついた笑顔が返ってきた。

⑳そして建築会社が入って10月1日に10分の一、1生産ラインが立ち上がる。10生産ラインに匹敵する皆さんの支援の
1ラインの火入れ式を行う。ようやくスタッフの目に涙が見えた。涙も忘れた目に恥ずかしいもなく沢山の涙が流れた、「私達は生きれる(かも知れない)、私
達は変われる(かも知れない)」とこの日の為に生産ラインの一番見えるところに貼り出した。笑顔が涙でくしゃくしゃになって明日が少し見えた、少しだが大
きな少し。

そして一週間は、コツコツ手探りで製品を作っては急速凍結した。20名のスタ-ティングメンバ-は、残念ながら本当に悩
んだ末に解雇した震災前の79名のスタッフの中から再雇用して昨年7月から掃除や準備に入っていた。全員がそれぞれ身内や知人を亡くし家さえない人もい
た、車もなく歩きや自転車で通った。一週間強で1000kgの「おとうふ揚げ」が臨時の冷凍コンテナに入っていた。解凍して食べた、また食べた。何回も
作ってはロットごと食べた。納得いかなくなってきた、悩んだ。
ある時「全部廃棄する!」と営業に話した。それが工場に伝わり工場長から主任、若いスタッフが事務所に入ってきた。「何で捨てるんですかぁ!社長も一緒に作ったんじゃないですか!震災前よりいいものができたんです!・・・」
震災から7ヵ月が経っていた、仕事ができる喜びとしっかり作れるかの不安と皆の目が集中しておとうふ揚げに気も心もぶつけていた。

「震災前よりいいものではダメだ、納得できない。考えもしなかった支援、延べ1200名を超える人が来てくれた。どんな思いで来てくれたんだろうか。私も彼ら彼女らも分からないだろう。しかし間違いないのは私達マルト(と屋号で呼ばれていた)が
再生することを願っていた、そしてマルトが再生することは被災地の復旧に少しでもつながっていくことだ!電気、水道、機械建設、包装資材、運送会社、、、被災した会社が地元から駆けつけてきた、そのことは忘れてはいけない」

「震災前をはるかにはるかに超える製品でなくてどうする、コダワリを超えたコダワリ、無添加を超えた無添加、それを作らねば被災で亡くなった方やこの被災地に申し訳ない。支援してきた皆さんを裏切れない。私達は変わる、私達は生きる・・・・」

翌日から全てを見直し これまでの常識をマニュアルを見直した。試食で昼ごはんが入らないスタッフも出た。
今でも豆腐会社と毎日やり取りし妥協という言葉は今は存在しない。素材が語りかけ皆さんの心に届くまで、届いたら皆さんの心が温かくなり笑顔が周りに広が
る、、そんなことを夢見て。因みに小さな規模で出発した当社で1000kgの廃棄は痛手だし、何よりも命を捨てることに心が痛む。
ピ-スボ-トを中心とした民間ボランティアの炊き出しに提供し今年の二月まで弁当の片隅に毎日入っていたそうだ。
 

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