「共に2011年をふりかえる」
「共に2011年をふりかえる」
生産者名 株式会社高橋徳治商店
氏名 代表取締役 高橋英雄
1)ふりかえって思うこと、心に残ったこと、忘れてはならないこと
2)これからのこと
我が命と家族と会社のスタッフの75名が助かった。生かされた、選ばれた、命だけでも助かったのだから、生き残った・・・そんな文言は生き残ったものの自分が生きる為の言葉で、そんな言葉を語る側からどれだけの人が自ら命を断とうと考えただろうか。
振り返りとはその時間や空間が過去のものとなり記憶にも薄れてきたからできることです。
福島原発事故の影響下で暮らしている人、未だ終わらない失った多くのものや多くのことを引きずっている私たちが、振り返るのは3.11の前であり、それはもう絶対に戻らない、戻せないことです。
全てを無くした、凄絶な体験をした、未来どころか明日も見えない、明日のことも考えられない、水も食料もなく凍えながら家族や友人を探して避難所を回る人たち、流されて無くなった家の前に呆然とたたずむ人、薬も切れて意識を失う人、助けを求める声が記憶から消せない人、流されていった人を助けらず夢に見る人、夜泣きの幼子、亡くなった人の思い出を見つめて暮らす人、ヘドロに埋もれた散在する家具や生活の跡に抱き合って泣く人、一個のお握りに涙して感謝する母子・・・・
9ヶ月になろうとしている今 風景は変わったが取りもどすすべは無い。
悲惨さをただ書いている訳ではない。体験しない人に伝える言葉を持ち合わせていないしそんな言葉はこの世には無い。
生きている意味も分からない、価値あると思っていたものが価値を失った。通りすがりに見知らぬ他人が気をつけてね、お互い頑張ろうねって声を掛け合う、それは同じ体験を共有しているからかも知れない。
何故生きているんだろう、仕事って何だろう、家族って何だろう、死ぬことって何だろう、かけがえの無いことって、大切なことって、絶対譲れないことって・・・これまで考えもしなかったことが、震災以来ただ走ってきた私を悩ませる。このままでは返すことも出来ない長期借入金も私を動かす力にはならない。
友人が言っていた「私たちは見放されたのかも知れない・・」って。
これからのことは分からない。
私が81歳までの20年払いの長期借り入れで新工場を建てる予定だが分からない。引きずり抱えているものが多すぎる、重すぎる。気持ちはまだ震災当時を抱え込んだままだ。
それでも熱い応援、義援金、メッセ-ジを送り続けてくれる組合員や生協職員の皆さんがいる。
ガレキやヘドロを500人余の皆さんが片付けに来ていただき冠水した道路を水しぶきを上げて帰って行く車が見えなくなるまで見送った日々。
本当に独りになってしまったとガレキに腰掛けて今日と同じ夕陽を眺めながら「疲れたとは言うまい!」と誓ったはずなのに先が全然見えないあの頃。
もういいんじゃないか。何もなくなったんだし、楽になりたいと放心したように考えて死ぬことが怖くなかった。
でも翌日は また沢山の支援の皆さんが来てくれた。
独りではない・・・仲間がいる、信頼できる仲間がいる
本当に支えていただいた。
今 南西方向から風が吹いている、原発の方向だ。西には皆さんが日々頑張っている。 それは今の私どもにとって 何よりの支えだ。
今度は、どんな私たちで返せるか。ゼロから考えている。
心ある生産者であること。どんな心か、今 一心に考えている。
考えるとは、祈ることにつながり 祈りは心を作る。有難うございました。