2010.2.22 生活クラブ生協に初荷の頃を思う
生活クラブ生協との提携開始は1985年ごろと記憶しています。組合員の友人から紹介を受けその何年も前から何度となくお邪魔していたところ、突然声がかかり連合会の開発部のスタッフから「生活クラブで練り物を作りたいが教えてもらえないか」と言う。「魚は?それから作るすり身は?そして機械設備や施設などは?無添加ってプロでもかなり無謀なんですが?」かなり恐れを知らない生協だな~(笑い)という出会いでした。
その後お取引提携が開始され 煮込み用竹輪、さつま揚げ、つみれなどを冷凍しセットし紙トレ-(フニャフニャでした)ラップして10トン車一台が初荷でした。
大手の下請けから脱皮して苦しみながら数年間、学校給食の栄養士さんから教えていただいた無添加の試作の日々、一方では仕事がない!汚水処理を完備した団地移転や工場新設でお金もない! 200海里は自国の領海と旧ソ連海域から締め出された結果、漁船は減船し沖合い近海魚だけで魚も激減。
そんな中、ようやく一尾一尾の手処理で地元の魚から無添加の原料すり身を作りはじめました。原料作りで初回は凍結したすり身が20トン=20000kgは全部失敗(かなり廃棄しました)。
それでも半年後ようやく技術的に克服。注文を受けて必死に仕上げた恐らく日本で初、添加物の一切ない練り物が初めて石巻を出発して行く。
「がんばれよ~!大事に運んでよ~」従業員が総出の見送りに運転手も「わがったど~(分かったよ~)」と、全従業員皆の「気」が入って中には涙ぐむ人もいました。
あれから25年、種類も増え多くの組合員の家庭の食卓に上げて頂いています。生意気なことを言えば一種類の練り物には必ずメッセ-ジを乗せて開発し生産することを私どもの方針としています。今では安く大量の練り製品が市販されていて、私どもも大手の下請けで使ってきた合成添加物以上の添加物や輸入すり身の練り物が相変わらずまかり通っている、魚介類という「素材」「生き物」がその体をなしていません。
私どものおでんセットには15種類余りの魚が使われ煮込んで出る出汁には他の具材とハ-モニ-を奏でます、しかもそれは「手をかけるほど鍋の向こうの笑顔が見え隠れ、ずず~っとすすり、ふぅ~っと寒い夜にやさしさがしみて来る」何よりも皆さんと共に作り上げるメッセ-ジです。何かどこかで捻じ曲げられた幸せ、こんな時代だからこそ私たちは皆さんとメッセ-ジを作り続けます。