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3.11から13年

今年の3月11日で東日本大震災から13年を迎えました。

また弊社代表には全国の生協様より

数多くのコメント・文章依頼がございました。

有難うございました。

今回はその中の1文章を原文のまま掲載いたします。

(常総生協 News Letter 2024年3月1回号より)


 

〈事業と思いの永遠の循環〉  メビウスの輪より

 

元旦から能登半島の地震と津波、映像を見て避難所を見て孤立し支援もない

一部地域の人を見てまたあの時のことがよみがえってきました。

映像の中の家々、車や津波の様子、被災者の声や家族の不明など

すべてが当時の自分の心境と重なる、辛いです。

せめて身を寄せた人たちが互いに励まし合い支え合いの力で支援、

救援を待って生き延びて欲しいと祈るばかりです。

2011年3月11日震災で津波は海や河から汚泥を運び 夥しい遺体や家々や

工場のガレキを覆い重金属も重油や腐乱臭の混ざったどす黒いヘドロ(津波堆積物)の世界。

そんな世界で見え隠れしていた何かを。

気づきどころか考えることさえできない思考停止の中、

それでも多くのことを掘り出そうと欠かさず3年2ヶ月日記に書いてきた。

何か記録しておかないと大切なこと・大事なことを見失ってしまいそうで、

そしてそれが私自身の救いにもなったのは間違いない。

2万2000人を超えた亡骸と関連死、行方不明者、そして数知れない自死者、

避難者の29%を超える精神疾患者との記事を前にしてあれは何だったんだろう?と。

それが分からなければ自分自身の生きてきた、生きている、生かされている意味が

見えず表しようなく重く圧し掛かってくる不安に潰されそうになっていただろう。

忘れるように、逃れようと復興・会社再建に向けて走っても、

それは思考も感性も震災と言う化け物のある意味ただの反対概念でしかないのではないか?

周りの被災者、被災事業者は復旧復興なんだ!とどういった未来をなんて余計なことを

考えず震災前の課題だらけの生活や事業復活に邁進していった。

震災後のただ中、日々の出来事から気づくことで考えを深め同時に、より具体的に

「会社再建の意味」と「自分はなぜ生きるのか」という問いを自分に向けてきた。

結論と言えば(噓になるかも知れないがウソでもいいから)「この地で必要とされる会社」

「この地で必要とされる自身の生き方を」と言い尽くされた言葉「こころの復興」。

自分自身や周りの人が元気と笑顔になる会社や自分であろうと・・・そう考えて13年目を迎える。

思い込みでもいい、ただ何かすがるものを見つけないと生きていけないからかも知れない。

思えば鬱と人間不信と無力感と虚無感との葛藤だった。私は弱い自分を知っている、

だから、ため息やもう限界だと言う言葉を発する前に直ぐに飲み込んできた。

旧工場修繕、新工場建設土地探し、設計、助成金や売上減を想定した財務計画、借り入れ、

スタッフの再雇用と組織立て直し、兄妹との遺産相続訴訟、離散した家族が暮らせる自宅再建で

自身の借入、行政手続き、水産会議、営業、お礼兼ねた報告会、放射能対策、流されたレシピ-、

50トンのヘドロ処理や清掃、原料や製造設備、衛生や危険物処理、数百トンの冷凍廃棄原料、

再開に向けた事業計画と設備、避難所の世話役と日々の問題、三食の準備や洗濯掃除・・・

多忙すぎる時間は公私にわたり私をとらえ、それでも自分自身と向き合いすべてに

問いを投げかけ、そして心の復興を考えた。

それはともすれば潰されそうな自分を支えたことだったと今はそう言える。

先が見えない、様々な計画は次々先送りされ段々積み重なっても、

しかし自分も周りの人も家族を亡くしたスタッフも、心が元気で少しでも顔を上げ笑顔になれればと。

満身創痍であれ苦しい時は家族やスタッフに当たったり笑顔が無くなる時も、

そんな自分が逃げないように社内合意を続け、地域の引きこもり達の就労の場として

野菜果物の加工場を作った。本体の多大な借入に加えて補助金以外2億円が新たな借り入れになる、

野菜果物の製造加工販売そして引きこもりスタッフとの共苦の日々が手探りで続いた。

無謀かも知れない、それ以上に夢中。そして2024年1月で5年10ヵ月、

助成金ももらわずまだ赤字だが6人の元引きこもりたちは元気に時々笑顔で頑張って、

反対派だった本体練り製品の製造スタッフも「社長が言ってた人間性という言葉が

少し分かった気がします(テヘっ!)」と照れ臭そうに話す人も出てきたことは引きこもりたちの力だ。

 

① 13年前の震災で何を学ぶ必要があるのか

・・・皆さんに学んで欲しいのはと単に被災者の一人なのに知ったようなことを書きますが、

防災・仕組み・教訓はすべて大切なことです。

それも含めて被災地は社会的課題先進地と言われてきました、

見えなかったことがはっきり見えてきたと思います。

 

例えば、普通の精神状況ではなくなりまた価値観が変わったその結果

一時的だとしても見えることが違ってきました。

DV、育児放棄が増え別居や離婚が増え貧困や格差拡大や不登校、

引きこもりや圧倒的な精神疾患患者の増大、ギャンブル強度依存、

大きな不安・喪失感や自死など数えきれない沢山の事象が見えました。

しかし見えていたのに、復旧が進みガレキや廃墟が無くなっていくと忘れたかのように

暮らしを取り戻すという名のもとに、心のことを頭の奥に押し込め、今だけ、自分だけ、

お金だけとあくせく生活し始めました、忘れたいのかも知れません。

 

しかし「こころのこと(あり様)」は面倒ですが避けて通れないことだとそう確信します。

ある方は家族を流されたとか、ある方は全財産や家や思い出を、ある方は目の前で人の死を、

ある方は流されて九死に一生を得た人とか、目の前の惨状に押しつぶされていました。

お金があっても水や食べ物も電気もトイレの水も紙さえ手に入らず着替えもなく暖房もなく

これまで当たり前にあったすべてのことが当たり前ではなくなりました。

舞台のように一瞬で暗転し相談する人もなく皆さん心の拠りどころさえ失くしてました。

例えば「弱者」の子供たちどういう風に何をもって「自分自身を支えたのか」

はある視点で重要かと思います。

意識さえしてなかった心の拠りどころの思い出も自宅もない、

保育園や小学校の道具も教科書もない、友達やその家族が亡くなった話も聞く、

住み慣れた地域も変わりはて学校さえ一階は浸水、二階以上は避難所に。

そんな時、大好きな親が苦しんでいるのに、泣いてはいけない、ふざけることもできない、

我がままを言えない、恐ろしくても精神的に頼るべき親が右往左往してと・・・

自分たちで感情を抑えていい子を演出せざるを得なかった。大人からすれば

健気な子だが彼らの目線に立つと違った心の世界に居たと。

拠りどころがない、心の支えもない、大切な家族や人同士の関係も希薄な時

「支え合う、寄りそい合う」という選択肢を取り切れなかった。

そしてそれは何年たっても大人だけでなく子供たちに深く大きな傷を残すことになる。

 

➁ 特にお金で買えないものを大切にする価値、必要性について

・・・お金で買える物は沢山あります、むしろ殆どと言っていいかも知れません。

お金でお金を買える時代、しかしあの震災では殆どお金は役に立ちませんでした。

そんな社会で無償ボランティア、他の沢山の様々な形での支援はその一つかもしれません、

どれだけの被災者が手を合わせて感謝したか。

 

満足・不満・未満足とお金が使われていきますが、肝心の満足や幸せとは?

と問えば瞬時言葉を失う人は多いのではないでしょうか。

心からの満足が得られないまま未満足の消費に走っているようでなりません。

例えば、震災後、土木建築で友人の社長は「とんでもない収益を上げたが

高橋の言う通り何か虚しいんだよな」とは被災したからこそ感じるものだろうと思います。

お金がない人は?お金を稼ぐために生活に追われ沢山のことを見失っている気がします、

やむを得ない気もしますが、結果 DVも離婚、別居、児童虐待も不登校も避難者の

29%を超える精神疾患者も大きく増えていた。

何が幸せで真の満足なのか? 読んだ皆さんで考えてみてください。

規模は小さいですが私は事業の中でスタッフ、私自身、会社の幸せというものを

常に考えていきたいんです、常に。そして社会的弱者と同じステ-ジで。

少しのつま先立ちで 見えなかったことが見えてきた

 

<元気と笑顔の化学反応>

避難所で助け合い知恵を絞り協働して解決することは自然発生的に出てきました。

そして弱者をどう守るか?

これも誰から言われることなく、自分自身も大変なのに、乳飲み子や母・子供たち

・病人・高齢者・障がい者・中国からの研修生・パニックになっている人・家族を

亡くした人などに寄り添うことも・・・結果相手の元気や笑顔は何にも代えられない

伴走者の元気や笑顔になって行きました。しかし今思えばそれ以上にいい子を演出していた

特に未就学児に泣いていいんだよと

ハグしながら声を掛けて欲しかった、それは求め過ぎだったのだろうか?

 

➂ 弱者だから見えること

・・・痛みを持った人が他人の痛みに思いをいたらせられるだろうか。

痛い思いをしたからこそ分かる他人の痛みと自分の言動の変化。

そして「健常者?」と考えている我々自身は健常なのでしょうか。

弱者にはこの社会の姿はどう映っているんだろう。

 

支援ではない・伴走でもない、なぜなら支援者は健常者であり弱者ではないと

どこかで考えている我々。自分は「弱者」なんだと先ずしっかり認識していくことから始めたい。

そして彼ら弱者の日々の言動から「私自身が学ぶ」ことで私が変わる。

「若者は我々やその社会を写す鏡」と考えた時 見えること(風景)感じることが変わっていく。

例えば生産性アップやお金を如何に稼ぐかだけが人の価値、だから引きこもりや弱者は

生きている価値がないという世間の目。何年も経って語りだす若者達の過去は虐待や

育児放棄やいじめ、貧困、格差や差別、暴言・・・凄惨な世界、その世界は私たちが作ってきたのに。

時に攻撃的な目、ある時は死んだような、ある時は両生動物のような感情の無い冷たい目、

恐怖におびえた目、不条理につぶされた孤独の目は、

生まれた時にはなかった目。おぞましいその背景はこの社会にしっかり存在する。

震災は、震災そのものがそれに拍車をかけ復旧が進むと顕在化しこれまで以上に

苦しみが深くなった、そして今はまた潜在化している。

 

「よく死ななかっ(自死)たな!」と彼らに話す私の目に映っていた、

うつむく彼らは何を思っていただろう」

 

ある時、6人を前に聞いた「どんな仲間になりたいかい?」

・・A子「分からないけど本体(練り製品工場)の様な仲間じゃないと思う」

・・・なぜそう思うの?

・・・「自分もたぶん仲間たちも過去辛く痛い思いをして苦しんできたから・・・違うと思う」

新人が入って作業を教えて振り返りシートに書いてあった

「あっ!昔の自分を忘れてる」ことに気がついたと。当社に入った時何も分からず

自信も全くなく声もかけられず人も怖く作業どころでなかった昔の彼ら、

そこに戻って初めて人の痛みを知ることになり言動が変わっていく。

痛い思いをしてきたが、新人が今その痛みの中にあって、

作業も初めてで寄り添う気持ちの大切さが言動を変えていったのだろう。

痛い思いをしてきたからこそ分かる他人の痛みの世界、彼らも学んでいる。

私たちはそこに立ち続けられるだろうか?

彼らに聞く・・・何をしたいですか?引きこもりの空白の時間を埋めるように、取り戻すか?

・・・「まだ分からない」

思うに、若者たちが見る人と人の新しい関係、暮らしや未来、

そしてただの作業ではない仕事とは何でしょうか、人を幸せにする仕事って作れるんだろうか?

まだつかめない、見えないから手探りで考えるしかないが、大切な指摘をたくさん受けた気がします。

 

➃ リアルな現場に身を置くために野菜加工工場をつくり、3.11で心に傷を負うなどによる

就労困難な若者、社会的弱者との関りを持ち、考え続けることから見えてくること。

就労支援・福祉活動とは違う新しい事業、取り組みで変わったこと

・・・私は弱い人間です。構想だけでなく目の前に具体的なものを作らないと

弱気になり考えることを止めてしまうかも知れない。

だから新たに2億円借金して自分が逃げられないようにしました。

できてから反対派のスタッフも、右も左も分からず精神的に何度も追い詰められた

長男も引きこもりのスタッフも手探りで頑張りました。

5年半以上継続してやってきたことで「新たなステ-ジで見えることが変わってきました」

作業は人を変えるか、変えるような作業とは?・・・ないでしょう。

作業分解という用語もありますが、それも作業しないで周りから見ている人の話で、

作業する人自体のことを考えていない。一緒に作業をして作業自体や表情を観察したり、

時に嘘を書く(笑)彼らの振り返りシートも丹念に読み、書いてないことまで考えたりして

「情態」「心の揺らぎ」を見てきました。

そうしたことを繰り返して日々刻々の一部であっても現場の具体的な出来事からしか

見えてこない気がします。それでしか作業で人は変わってきません。

人を変えるのは作業自体ではなく作業を通じて見えることを丹念に、

お互いに見ていくことだとそう思います。

例えば作業が出きる子と出来ない子たちに別れたグループ仲間同士で喧嘩をする。

出きる子達がすがる作業のあるべき姿は世間で当たり前とされる「効率・スピード」であり、

人から褒められ認められ自分の存在意味を見つける。

反面出来ない子達はついて行けないが作業が丁寧、ようやくできるようになった

作業にしがみついて出来る子に譲らない・手伝いを拒否=仲間外れ、喧嘩・・・

「出来るから偉い訳じゃない、出来ないから偉い訳じゃない!

お互いに「オハヨウのあいさつ、元気がないね、何かあった?」

「作業が追いつかない、助けてください」「手伝おうか?⇒お願い、有難う」

「難しいけど野菜果物の立場に立って考えるとすごくわかるよね。

もめていたら野菜果物が悲しむからね」「こうしたらいいと思うよ」って話し合おう。

「早く正確に、楽しく楽に・面白く」がモット-です。

今は 作業が上手く流れだし声掛けも出来つつあり月に一回は焼肉屋さんに

行って仕事のこと、私が話したこと、そして何より個々の話しをするように

なってきたと聞いてとても嬉しくなっています。

単純作業は疲れるし面白くないけど、次は野菜果物そのものと作った人に心寄せて・・・

そうすると「作業ではなく仕事をしたこと」の入り口に立てます。

ここ工場が居場所?になるとは?・・・あなた自身が居場所になるんだよ。

辛い日ほど笑顔で元気にオハヨウ~! 元気がないスタッフも笑顔になります。

あなた自身も元気が出る・・それが居場所であなた自身が作るんです。

働き方、採算性?・・ 6000万円/年も製造販売して今は赤字ですが、

時間当たり生産性、効率化、よく考えて(何を?会社の利益を?)自律的人間などではなく・・・

(既成概念は当社では壊す対象で)まだ遠いですが豊かさや幸せ、

真の満足への道が足元にある気がして連携作業で自分たちが作るカイゼンの途中です。

「私が生きている内に仕入れ・交渉・加工の企画開発・原価計算・

営業までできるようになって欲しいね」夢の夢ですがかなえられれば最高です。

そうやって支援でも伴走でもない支え合い共苦・協働という世界が見えてくると

少し確信をもって考えられるようになりました。

引きこもりの新しい若者も中々出てこないのですが障がい者も生活困窮者にも

拡げて現在のスタッフに刺激を与えたい。

加えて福島の障がい者施設と農事法人との協同と介護施設や困窮者を組み込んで

当社とも連携しと考えてます。農福連携を超えた取り組み。

いずれ生協側の伝える力と提携があってのことですが、「ふくしまユートピア地域構想(仮称)」

福島でお金で分断された小さな集落で私がいた避難所の様なユートピアが出来ると

交流にお出で頂いた皆さんが学ぶことはもっと沢山出てくるとそう思います。

ある意味 我々と比較し 復興復旧後進地域の福島沿岸部で学び宮城県内にも

持ち帰るような取り組みが出来たらいいなぁ。

 

今年のテーマは「まつろわぬ」「現場」(に立つ)「弱者の視点」です。

それは既成概念や価値観、当たり前のこの社会に挑戦にする為にたぶんですが

社会的弱者の視点が今後重要になる気がします。

そして震災という現場から何を?もそうです。「リアルな現場主義」。

彼ら彼女らは、我々のことや社会をどう見ているんだろう。

「練り製品工場の様な仲間になりたいか?」と聞いたら「ならないと思う」

なぜ?と聞いたら「私もみんなも傷ついて苦しんできたから同じ仲間にならないと思う」

という言葉が未来を語ってるかどうかは私や若者たちの手にかかっている。

「こと」を「もの」で消費することを一緒に考えて頂けますと嬉しいです。

表題のメビウスの輪「思いと事業の永遠の循環」かも知れません。

 

2024年1月10日
㈱高橋徳治商店 代表取締役 高橋英雄
宮城県東松島市の工場から

 

 

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