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おとうふ揚げのパッケージ

当社が震災により被災し、3工場全て全壊となりました。
そこから延べ1500名の皆様がご支援頂き、
2011101日に「火入れ式」を執り行われ、当社の練り物復活の
1号「おとうふ揚げ」がスタートしました。
 



工場長:渡邉

この復活の喜びと感謝の想いを皆様へ伝えたいと考え、おとうふ揚げの包装紙にメッセージを書く事になったのですが
実はこのメッセージ、今回で3回目の更新となります。

以外と気付かない方も多いと伺い、第1弾~第3弾まで改めてご紹介させて頂きます。

①「3.11はまだ終わらない。」
 
瓦礫とヘドロ、そして破壊された三工場と自宅を前にただ立ちすくんでいた私たち。
余震が続き不安な中、青森から九州までの500人(後に名簿を確認して述べ1500名の方々にご支援いただきました。)
余の皆さんが半年もの間、ドロをかぶり汗を流し、背中を押していただき、ただただ頭が下がります。

ここに多くの皆さんの温かい思いが今ようやく形になりました。
たった一つの生産ラインですが、変わり果てたこの地に新しい未来を作るための第一歩、涙を超えて笑顔をそえて
「アリガトウ」を送ります。


②「3.11は忘れない。」
 
ここまで来た、瓦礫のピラミッドと何キロ先も見える何もない街の跡。
胸をかきむしるような痛みも、荒んだ子供や高齢者の寄る辺ない心もまだまだ行く先を知らない。
喪失感、そして自分だけが生き残り、救えなかった負い目を抱えて・・・・。

でもここまで来た!工場をなくした電気業者もワゴンに器具を積んで内陸でバラック屋根だけで始めた
機械修理も包装紙材屋さんにもその家族が住む仮設住宅にも笑い声が少しずつ一人ずつ戻っている。
ふる里は消えた、戻れないが、戻りたい。

仕事するってイイネってスタッフが包装室で話した。毎日仕事が出来る当たり前の幸せ。
おかげ様って言葉が街に拡がっている。

③「3.11は忘れない。」
 
もう三年、まだ三年。
見たくない、聞きたくない、思い出したくない・・・・さら地に立ち何も終わらず始まらない
ここで暮らすために私達は考えてきました。無かった事に出来ないんです。

ここで生きたかった二万一千人もの犠牲者が「自分たちの分まで共に生きて欲しい。
生き辛さのない明日を造ってくださいって・・・・」

託された気がして。
そして自慢のスタッフは皆で約束します。
傷つきうしなったから分かることがあるよね。
「この地で光になり笑顔と力になろう。今あることの幸せ、沢山の喜び、人の痛みに涙して
寄り添い深い思いやりを持とうね。」

そうして日々作るものを掘り下げていると何か、いつか誰かに届くんだよ。
思いが届くまで・・・・・・真手(マディ)に

以上。
 
過去に一度、味に納得いかず約1,000kgの「おとうふ揚げ」の市場流通をやめました。
流通させなかった「おとうふ揚げ」は当社へ長期にわたり復興支援をしてくれたボランティア団体様(ピースボート)へ
無償提供。(学生ボランティアさん達の弁当のおかずとして)

http://pbv.or.jp/blog_ishinomaki/?p=5902
 
現在でも納得できるものを作り続け(おとうふ揚げに限らず)、
製造する社員や事務所の社員までもが毎日試食し、素材本来の味を追及し続けています。


㈱高橋徳治商店
営業部:高橋 敏容
 

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